| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 | | 進捗報告 | 上田のゲームを作っているという話ですが、一応ゲームのシステムだけはできあがりました!
ゲームの流れ
開始前
職種(販売、作成、行政、労働)・スタートの駅を決める
資金1万からスタート
↓
(1周目以外スタート時にイベント)
↓
行きたい駅にいったり、働いたり制限時間内に自由に行動できる
(駅は実際の時間に比例
働くのは1回につき持ち時間の25%消費)
この時に、街にあるクエストみたいなのを町民から受けられる
(何があるかはランダム
受けたら完了・放棄するまで消えないが1周で交換される)
このクエストを完了していくと評価が上がって一定以上でその地区の駅を占領出来る
↓
エンド、次の人
職種
販売→物を仕入れて売る職業
物の売り買いに長けているため、物を買う時にその時の値段の10分の1の数値の割引をされる
( | 2022-01-26 |
2 | | つけば漁で獲れる魚 | 「つけば漁」では、季節によって獲れる川魚が異なり、6月末まではハヤ(ウグイ)、7月から10月まではアユが獲れる。
「つけば漁」について調べる前は、なぜこのような魚たちが勝手に集まるのかと疑問に思っていたが、上田地域は千曲川の中流域で、ハヤなどの生息に適している地域ということが分かり、さらに、魚が集まるための場所を作る漁師さんたちの努力の賜物だということも知ることが出来た。
<参考>
上田市 「千曲川のつけば漁」上田市ホームページ
(https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/nosei/2544.html) (2022-1-24 閲覧) | 2022-01-26 |
3 | | サントミューゼは散歩にも最適 | 外周してみて感じたのは、サントミューゼは敷地が広く、施設まわりのアプローチも整備されているので、グルっと一周するだけでもいい散歩になるということだ。実際、犬を連れて散歩する人をよく見かけた。
また、駐車場の方へ行くと川沿いの歩道に上がることができるスロープがある。川沿いの道へでると、千曲川と山々、住宅、不思議と調和する上田市の街並みが見られる。夕方に行くと夕日も見れるのでオススメだ。
そして、スロープを上る途中、サントミューゼ越しに雪を被った山が見えた。サントミューゼがその自然の景色を邪魔をしていないことに驚いた。 | 2022-01-26 |
4 | | 会見之地 | 真田と徳川の合戦のなかで国分寺が登場するのが第二次上田合戦。この地で1600年9月(慶長5年)「国分寺の会見」が行われたとされている。真田が徳川秀忠の軍を足止めしたことで秀忠は関ヶ原の戦に間に合わず、後の家康と秀忠の関係に影を落としたそう。 | 2022-01-26 |
5 | | サントミューゼを外から考える | 前回サントミューゼを訪れてみて建物自体に魅力を感じ、その魅力を探るべく再訪。 | 2022-01-26 |
6 | | 上田紬の魅力 | なぜその探求テーマを選んだのか
テーマを考える最中、上田紬のイベントが最近あったことを思い出したことがきっかけだ。またメンバー全員が服が好きということもあって上田紬に興味関心があったためこのテーマに設定した。
何を探求しアウトプットするのか
上田紬の歴史や庶民的なものから高級品に変化するまでの過程を調べ、どのようにしたら現代の若者にとって身近になるかを考える。
具体的にどのような資料を調べるのか
インターネットのサイトや可能であれば上田紬の工房に足を運び実物を実際に見てみる。また先生から送って頂いた上田市立博物館図録を参照する。 | 2022-01-25 |
7 | | 比較から見る上田市工業の強み | 上田市の隣には、機械・金属工業の中小企業を中心とし、優れた技術力を持つ坂城町がある。工業の分野が似ている両市町には、どのような違いがあるのか。
今回は坂城町と上田市それぞれの工業統計調査を参考にし、それらを比較するための指標として、平成30年における両市町の[①事業所数②従業者数③製造品出荷額④現金給与総額]四つを用いてみた。
《上田》 《坂城》
① 390事業所数 204事業所数
② 18890人 6068人
③ 52,667,396万円 22,748,130万円
④ 9,066,947万円 2,874,596万円
上記からもわかるように、精密機器や機械・金属という主要製品が同じでも、上田の方が製造品出荷額と現金給与総額が高い。これは事業所数・従業者数が上田の方が多いことに加え、大企業の工場を有していたり | 2022-01-25 |
8 | | 上田市の位置は工業向き | ・日本のほぼ中央に存在するため交通インフラが良い
鉄道:JR北陸新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線(上田駅で接続)
高速道路:上信越自動車道(菅平インターチェンジ)
東京から約190km(北陸新幹線で最短80分)
県庁所在地長野市から約40km
[参考資料]
上田ってどんなところ?-上田市ホームページ(https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/uedapr/5606.html) 上田市ホームページ 上田市 上田市長 土屋 陽一 2022/01/19参照 | 2022-01-25 |
9 | | 壮行會 | こちらの記事は小學校での行事を示した記事である。
今と少し異なるところが5月27日と3月10日に行われた行事だ。
5月27日には海軍記念日として登山を、3月10日には陸軍記念日として記念講話を行っている。これらはどちらも軍を重んじた行事であり、小學校からこのようなことが行われていたと言うことを生の資料から受け取ることができた。
記事はこちらから
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0078.jpg | 2022-01-25 |
10 | | 勤儉週間 | こちらの記事は勤儉週間についての記事である。
勤儉とはよく働き、倹約することの意である。戦地にいる兵隊が苦労しているから私たちもきちんと働き倹約しようという意味を込めてのものだと考察した。
標語である「今日の勤儉 明日の極楽」や「家を興して国を富ませ」等は当時の考えを体現したものだと感じた。
また「一銭を笑ふものは一銭に泣く」という標語が個人的に気に入った。今も昔もお金は大事。
記事はこちらから
1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0058.jpg
2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0153.jpg | 2022-01-25 |
11 | | 徴兵 | こちらの記事は徴兵検査の結果についての記事である。やはり戦争ということで徴兵についての記事は多く見受けられた。徴兵検査の結果や徴兵適齢届の存在、また、小学校で兵士の壮行会が行われていたり徴兵検査の心得等々多様なものを発見することができた。
一つ疑問に思ったは、1枚目と2枚目からわかる通り、徴兵令が出されており届出をしないと罰せられるのにも関わらず、結果として31名中10名(6名が無名とあるため16人までの可能性あり)という少し低めな合格率であることだ。徴兵として集められても合格できなかった人は一体何をして過ごすこととなるのだろうか。
記事はこちらから
1枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0006.jpg
2枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0016.jpg
3枚目:https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0060.jpg
4枚 | 2022-01-25 |
12 | | 現役兵 | この記事は塩田の村における現役兵を示したものである。
大勢の方の名前が記されているが、私が疑問に思ったのは左側に書かれている「海軍」についてだ。筆者は横須賀という文字から神奈川に配属された兵だと考察をした。なんとなく海がある県の方が適していると感じているが、長野県は海無し県であるのにも関わらず海軍に任命されるのが少し疑問に思った。
記事はこちらから
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0003.jpg | 2022-01-25 |
13 | | 美味だれの波及と影響 | 2011年4月に開店した大型ショッピングセンター「アリオ上田」内で販売を始めたイトーヨーカドー上田店では当初、全国のヨーカドー店舗でトップの焼き鳥販売本数を記録した。注文が増えている飲食店もあり、認知度が高まりつつあるようだ。
ヨーカドー上田店は、実行委の協力で開店前に商品の試食会を開くなど、販売に力を入れている。同店によると、美味だれ焼き鳥の1日の売り上げ本数は、上田駅前(お城口)にあった旧上田店の焼き鳥の約15倍、全国平均の約4・5倍と好調さが続いている。 | 2022-01-25 |
14 | | 様々なレシピ | ニンニク醤油仕込みの美味だれは、焼き鳥の他にサラダや鶏丼、オムライスなどにもよく合う。また信州野沢菜にも美味だれをかけると絶品である。焼き鳥に関してはほぼ全てに合うが、個人的にはぼんじりとねぎまに良く合う。上田市中心部の人気店「つづらや」では、客が卓上のツボからタレを焼き鳥にたっぷりとかけて食べる。炭火で香ばしく焼いた塩味の焼き鳥に、ガツンとニンニクの風味と甘辛味が絡み合い、パンチの効いた味わいだ。
地元有志でつくる「美味だれで委員会」が進めている普及活動の一つが、タレを焼き鳥以外の料理でも活用する取り組みだ。地元飲食店やコンビニなどと協力してメニューを開発。唐揚げやラーメン、チキンバーガー、クレープなど様々な可能性を広げてきた。
ボトル詰めしたタレを販売する動きも広がって | 2022-01-25 |
15 | | 定着 | 上田ではこのたれで食べることが定着し、特別な呼び名は存在しなかった。2011年2月、市民有志により実行委員会が発足。上田地方の方言で親しい仲間に使う愛称である「おいだれ」、「美味しいタレ」、好みにより後から追加できる「追いダレ」の3つの意味を持たせた『美味だれ』と命名された。2012年には、上田市を商標権者として、『美味だれ焼き鳥』『美味だれ』が商標登録された。この料理の原形は焼き鳥店のテーブルに置かれた、たれの入ったコップに焼き鳥を浸して食べる方法であり、この場合は衛生上、大阪の串カツなどと同様に二度漬けは厳禁とされている。 | 2022-01-25 |
16 | | 美味だれを深く掘り下げる。 | すりおろしたニンニクが入った醤油ベースのたれに焼き鳥をつけたり、焼き鳥にたれをかけたりして食べるものである。昭和30年代に、上田市内の焼き鳥店で考案され、市内の家庭や店舗に広まったとされる。さらに、たれにすりおろしたリンゴが加えられるなど、店舗ごとに個性的な味が生まれていった。 | 2022-01-25 |
17 | | 上田工業の歴史 | ①蚕のまち上田
江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県経済は蚕糸業に支えられていた。上田はそんな長野県中でもいわゆる「蚕都」として名をはせていた。その要因としては、扇状地や河岸段丘の発達により桑の栽培適地であったこと。また、雨が少なく乾燥した気候が蚕の飼育に適していたこと。そして全国にさきがけて開校された、小県蚕業学校(現在の上田東高校)や上田蚕糸専門学校(現在の信大繊維学部)などによる蚕業教育が充実していたことが挙げられる。
②精密機械工業へのシフト
長野県が戦前から養蚕・製糸業に代えて精密機械工業へと産業育成の重点をうつし、かつ終戦後の1960年代には高度経済成長で商工業が発展したこともあり、上田の蚕糸業(養蚕、蚕種、製糸)も例外なく衰退を迎えた。しかし蚕糸業で培われた技術的 | 2022-01-25 |
18 | | 木片人形 | 木片人形とは小さな木を人型などに加工したものです。一つ一つが手作りされており、細かい表情などが見事に表現されています。人型のものだと服装や姿勢から作られた当時の環境を知ることができます。今ではこの木片人形を広げるためにお店の看板などに用いられたりしています。この写真は柳町にあるルヴァンというパン屋さんとCo・LABO shopというカフェの看板です。 | 2022-01-25 |
19 | | 実際の作品 | 千二百点以上の作品が飾られている中でも印象に残ったのは木彫りの食べ物シリーズでした。ザクロやほおずきなど木でできてるとは思えない作品がありました。その中でも特にほおずきがすごかったです。ほおずきの皮のしわしわ感はもちろん、ながい茎まで見事に表現されていました。さらにその茎の部分は別々で作ってくっつけているのではなく、一つの木から掘り出しているらしいのです。木というものはまっすぐに掘り進めれば折れにくいものの、カーブしだした途端折れやすくなってしまうため茎は失敗しやすくなっています。そのほかにも箱などの工芸品や海外の作品も飾られていました。 | 2022-01-25 |
20 | | 尾澤木彫美術館 | そんな農民美術品を実際に見たり、購入できる美術館があります。それは信濃国分寺駅近くにある尾澤木彫美術館です。実際に新潟の山中にあった古民家を洋風にリフォームして活用した外観がとても素敵でした。その中には多くの農民美術が飾られています。ここは農民美術の先駆者出会った山本さんと共にいた尾形千春さんとそのご子息である尾澤敏春さんの木彫り作品などが貯蔵されています。 | 2022-01-25 |
21 | | 山本鼎さんとは | まず農民美術とは農民の方々が作物の育たない冬の間に行なう生業として生まれました。提唱したのは山本鼎さん。彼は立ち寄ったロシアでそこの人々が行なっていたものを参考にし帰国後、長野県神川村(現在の上田市)にて第一回農民美術講習会を開きました。彼自身も多彩な芸術家であり、彼が起こした農民美術運動は後の世に大きな影響を与えました。 | 2022-01-24 |
22 | | 抜け道、近道としての山道 | 名前の通り、その山道を通ると近道になるような山道。
上田周辺だと国道143・144・254号なんかはそうだろう。
例えば、144号なら東御・小諸・軽井沢から上るよりも早く、簡単に嬬恋方面へ抜けられる。
254号なら松本へのアクセスが容易になっている。
真田に住む人からすれば、県道35号も長野市への近道になるだろう。
長野県は平地より山地のほうが多い関係上、平地を伝うより山道を作った方がいい場合がある。 | 2022-01-24 |
23 | | 信州は山の国 | 信州も信濃も、ほとんどいまと同じ長野県のことだと、初めて知りました。
信濃の地名は、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」「級」(しな)に由来しているとされ、名付けられ方で分かるとおり、坂と峠の多い県です。
長野県は、四方八方を2,000~3,000m級の山々に囲まれたまさに山国。県面積は、1万3,562.23平方キロメートル。(境界未明含む)全国第4位の広さです。
総人口は206万5,359人 (2,018年7月1日時点)ですが、
人口密度は1平方キロメートルあたり152.3人で、全国で下から9番目と少ないことも、山国の特徴。
県のほぼ全域が標高500メートル以上、
可住地面積の割合が低く、また人口密度(1平方キロメートルあたり)も152.3人と全国で第38位にランクインするぐらい少ないなど、山国の特徴が顕著に出ています。
特に、妙高山(2,454 | 2022-01-24 |
24 | | 上田別所線を掘り下げ、広めたい | この本は上田小県近現代史研究会が15年ほど前に、上田別所線の歴史をまとめた本だ。
この本を読めば上田の歴史を知ることが出でき、どれだけ地元の人に愛されてきたかが分かる。
今上田の観光地となっている別所温泉街の原型は別所線開業後に、温泉を新たに掘削して完成した。
この本によれば上田別所線は昔、丸子線や青木線など様々な路線がありましたが、バス交通の発達に押され次々と廃線となってしまいました。しかし、別所線は住民たちの存続運動などのおかげもあり、今もなお走り続けています。
参考文献 夢と暮らしを乗せて走る別所線 | 2022-01-24 |
25 | | 山道と雪 | 色々な山道を走ってきて、特に雪道の状況の違いがあるなと感じた。
国道406号なら、上田側はアスファルトが見えるくらい除雪・融雪していたのに対し、須坂側はほぼ白一色だった。
この場合は北側である須坂の方が降雪量が多い、カーブが多く除雪のしにくい等の理由があるのではないか。
同じような時間帯に通っても、ある場所は凍っていて、ある場所は路面が乾いていることもあった。
その日その日の天候や気温、高度、山の北側か南側かなど多くの要因が複雑に作用しあっているため、違いの法則性を見つけることは難しそうだ。 | 2022-01-24 |
26 | | 冬の菅平 | 厳しい寒さで有名な菅平だが、冬場のアクセスについて考えてみる。
前の記事で書いた通り、冬季は県道34号が通行できなくなる。
そのため、長野市から直通で菅平に行くことができず、須坂のほうまで迂回しなければならない。
また、国道406号は通行止めが無いとは言っても、須坂側は勾配がきつくヘアピンカーブも多いため、お世辞にも走りやすいとは言えない。
対して上田側はきついカーブが少なく、雪量も比較的少ないので、アクセスがしやすい。
雪道において走りやすい、不安要素が少ないことは、明らかな上田側のメリットである。 | 2022-01-24 |
27 | | 国道406号、須坂側 | こちらは須坂側の様子。
写真から分かるように、路面に雪が残っている。
この日は上田から上って須坂に下り、帰りは須坂から上田にという感じで走ったが、須坂側は明らかに路面上の雪が多かった。
道幅は上田側と比べると若干狭いように感じられた。
晴れていたこともあり、まるで天に繋がっているかのような景色が見られた。 | 2022-01-24 |
28 | | 菅平高原 | 菅平高原は上信越高原国立公園に属し、冬の寒さが厳しい土地。
数多くのスキー場があり、冬季はウィンタースポーツを楽しめる。
県道34号長野菅平線が冬季通行止めとなり長野市からのアクセスはできないが、国道406号を使い上田市・須坂市からのアクセスが可能となっている。 | 2022-01-24 |
29 | | 国道406号、上田側 | 上田側から国道406号に乗ってすぐ、チェーン脱着ができるようなスペースで撮影。
時刻は11時くらい。
除雪がしっかりされていて、冬用タイヤならば楽々通行ができる。
除雪された雪が端に固まっているので、非降雪時と比べると道幅は狭くなっている。
しかし、もともとの道幅が広いので、対向車とのすれ違いに問題が出ることは無さそうだ。 | 2022-01-24 |
30 | | 菅平へ | 上田から菅平に行きたいのならば、この交差点を左折して国道406号に乗ることで行くことができる。
この道をずっと行くと、途中で以前紹介した菅平ダムの横を通り過ぎる。
また、右折をすると鳥居峠やなかざわを通る、嬬恋方面の道になっている。 | 2022-01-24 |
31 | | 上田藩の死者数、正福寺の千人塚 | 千曲川流域には、「戌の満水」の流死者供養塔が幾つも残されている。それには2種類ある。一つは、多くの犠牲者を出した現地に建てられたもの、もう一つはたくさんの流死者が流れ着いて埋葬された場所に建てられたものだ。千曲川の上流では、上畑村(佐久穂町・248人)小諸城下(小諸市・507人)所沢川流域の金井村(東御市・130人)田中宿・常田村(東御市・68人)などで多くの流死者を出した。そして、まず大量に流れ着いたのが、上田だった。
「千曲川も上田まで来ると、流れが緩やかになる。上流から流されてきた死体が上田に流れ着いた。上田藩主の命令で段丘上の秋和の正福寺の門前に引き上げ、埋葬して、後に碑を建てた。それが千人塚と呼ばれている。また正福寺境内には石造地蔵尊があり、縁者がたくさん亡くなっ | 2022-01-24 |
32 | | 江戸の上田(『上田古地図・絵図デジタルアーカイブ』) | 江戸時代の上田を知るためにまずは『上田古地図・絵図デジタルアーカイブ』を閲覧した。天正の図は確かなものが見いだされていないそうだ。この頃は河が目立ち、寛永のの図では侍町というものが登場している。正保になると上田城の形がよく見えるようになっている。時代が進むにつれて図の見やすさも表れ面白かった。 | 2022-01-21 |
33 | | 小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990 | 【左】テキストコード化版 【右】『信濃』誌記事コピー
蚕種製造の中心地であった上田市上塩尻の歴史的・文化財的価値について言及した論文は小林昌人氏(1931~2001、長野県松本市生まれ)の「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」(1990)が最初ではないかと思われる。
ここにその論文を転載し、諸活動の参考にしていただきたい。『信濃』誌記事はコピーでは読みにくいため、テキストコード化も行った。
所載:『信濃』第42巻第1号 pp.23~35 信濃史学会 1990 年1 月
テキストコード化・文書整形:長野大学前川道博研究室 2018 年09 月13 日 | 2022-01-18 |
34 | | 備忘メモ 塩尻地区/上塩尻・過去の調査研究 | 蚕種製造の中心地であった上塩尻(上田市上塩尻)については、過去30年以上にわたり学術的な調査研究、地域づくりに向けた調査研究が取り組まれてきた経緯がある。惜しまれることにそれらは主体が異なり、断続的であることが共通した傾向である。
2018年8月時点で、過去における調査研究をリストアップし、それぞれの調査研究の内容を概観した。 | 2022-01-18 |
35 | | 信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録3 | Map作成活動
いよいよMap作成活動にとりくむ。地域の魅力を伝えるためにどんなMapが良いか企画を練るうち、温泉センターで昔の観光地図を発見。レトロなカッコよさに感銘を受け、和テイストで斬新な絵地図を作成する方向性に決定!!
500年続く雨乞い祭りで夫神岳山頂に祀られる龗(おかみ)の文字や九頭竜大権現をモチーフにすることで、里山の自然に畏敬の念を抱く昔の人の精神性や、現代の日本遺産「龍といきるまち」を表現できるという意見があり、龍を中心にMapを作成することにした。すごく斬新でカッコイイ、他にはないMapができるとワクワク。
龍が守る里、これを見て、「過疎だから移住してきて」で゜はなく、なんだかカッコイイ奴らが里山にいるみたいだから行ってみよう、と若い世代に発信できるようなMapにしたい!と意気込 | 2022-01-14 |
36 | | 上塩尻の集落の模型(1992年)発見 | 【上】集落模型(佐藤家住宅の部分)1992年
【下】集落模型(佐藤家住宅[佐藤尾之七邸宅])1897年(『日本博覧図』所載、上田市立博物館所蔵)
蚕種製造民家群が数多く残る上塩尻の民家は1989年度から1991年度にかけて当時の工学院大学山崎弘研究室によって調査されました。それからかれこれ30年近くが経過し、その調査を知る人も少なくなったばかりでなく、所在がわからなくなっていた調査資料を最近になってやっと探り当てることができました。そのことだけでも大きな感動です。
そしてつい先日、その調査で作成された上塩尻の集落のミニチュアが発見され、眼前で確認しました。「長野県上田市上塩尻の養蚕民家集落 Scale:1/500 1992.3.28 工学院大学 山崎研究室」と記されています。
山崎研究室の調査では、上塩尻の蚕種製造民家のうち23軒が調査 | 2022-01-12 |
37 | | 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛) | 「上田を支えた人々 上田人物伝 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)」
https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html
(上田市マルチメディア情報センター)
ネットで藤本善右衛門を検索すると参照ページは意外に少なく、現時点ではWikipediaにすら記載されていません。ほぼ唯一、内容を知ることができるのがこの記事です。説明文は『上田市誌第28巻』の「藤本善右衛門」を要約した内容になっています。
「上田地方を蚕種製造の全国的な中心地に発展させた功労者」として紹介されています。藤本善右衛門は蚕種製造を営んでいた上塩尻の佐藤本家の当主の襲名です。代々の当主のうち、特に業績のあった昌信(1722-1773)、保右(1793-1865)、縄葛(1815-1890)が紹介されています。
縄葛は1845年、蚕種の新品種「掛合」を育成し「明治初年の蚕種輸出の大変盛んだった時 | 2022-01-12 |
38 | | 信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2 | 信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。
塩田平・別所温泉地区を中心に、上田市は、「レイラインがつなぐ太陽と大地の聖地〜龍と生きるまち」として、日本遺産になっています。学生たちも龗や九頭竜大権現を祀る男神岳、女神岳に抱かれた民話や雨乞い祭り、文化財について学びました。
今年の8月、10月には、ボランティアガイドの会など他の地域団体とも共同して、日本遺産に認定された塩田・別所地区の文化財についてレイラインの観点から方位や日 | 2022-01-05 |
39 | | 信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録1 | 信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、SATOYAMAイニシアチブにもとづずいて、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。今年のアグロフォレストリープロジェクトには、地域の若者、移住者とともに、長野大学の学生が29名(福祉学部4名、企業情報学部1名、環境ツーリズム学部24名)が参加し、若者の視点で見た里山の魅力を絵地図にしました。
持続可能な社会づくりに向けて、自然と調和してきた里山の暮らしを発信していく、SATOYAMAイニシアチブにもとづき、住んでいる人にはあたりまえすぎて気づかない魅 | 2022-01-05 |
40 | | 可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」 | 2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。
2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。
■看板作成:
長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会
■監修:
長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授
■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) :
高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田雄基 | 2021-12-27 |
41 | | 旧坂井村と戦争 | 地域探求テーマ:旧坂井村と戦争
西上田事報などをこれまで調べてきた際に、戦時中に地方の地域ではどのようなことが起こっていたのか、地域ごとにどれほど戦争によって被害を受けてきたのかを知ることができた。
第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。戦争と地元地域を絡めて探求していくことで、より身近に、自分ごとに戦争や自分の出身地域について考えることができると感じた。
また今回は旧坂井村(現・筑北村坂井)の地域を対象としていきたい。
アウトプットの時点では、戦時中の状況を現在に置き換えるなどして、読者がより自分ごとに分かりやすく感じることができるものを目指す。
参考文献:坂井村史
但し著作権等について確認がまだ取れていないため、変更す | 2021-12-23 |
42 | | 私の地域探求計画 | タイトル
「上田市の伝承、昔話など」
なぜこの探求テーマを選んだのか
太郎山の「太郎山民俗遊歩」や姨捨山伝説など、上田市には色々な伝承や昔話があることを知った。そこで、そういった話についてもっと知りたいと思った。
何を探求しアウトプット化するか
上田市にまつわる伝承や昔話などを調べる。太郎山民俗遊歩が手元にあるので、まずはその内容を詳しく探求したい。
具体的にどのような資料を調べるか
まずは学校の図書館で探してみて、あればそこのものを利用する。なければ上田市立の図書館を利用する。インターネットも使うが、できれば極力使わない方針で行きたい。 | 2021-12-23 |
43 | | 上田の蚕種業 | 【上田の養蚕業】
江戸の末期から昭和にかけ、全国一の養蚕地帯でった長野県。特に上田地方は千曲川から広がる桑の栽培に適した地形と降水量の少ない養蚕に適した気候、そして蚕種の改良から日本一の蚕種製造地帯であった。中でも上田盆地は春蚕の生産地であり、松本盆地の夏秋蚕と対比されていた歴史がある。
【上田の蚕種の歴史】
-蚕種の始まり-
長野県では上田地方がいち早く、藤本善右衛門家によって1661年~1673年に蚕種製造がはじめらた。
上田地方の蚕種製造は
①奥州産蚕種を仕入れ販売(仕入種)
②奥州へ出向き蚕種製造(手作種)
③自家製造(地種)
と順を追って成長し全国に販路を広げていく。
-蚕種製造が盛んになった背景-
① 江戸時代、経済が発達による養蚕業や織物業の奨励
② 蚕種・養蚕・製糸の分業化
この | 2021-12-22 |
44 | | 戦後の上田 | 西塩田時報を読んで戦後の上田について興味を持った。戦後に刊行された西塩田時報から資料を収集したいと考えている | 2021-12-22 |
45 | | 上田市無電柱化推進計画について | これは上田市が出している上田市無電柱化推進計画である。ここには無電柱化の推進に関する基本的な方針が示されており、現在の上田市における無電柱化の現状や今後の方針など上田市における無電柱化について全て掲載されていた。 | 2021-12-22 |
46 | | 上田別所線を掘り下げ、広めたい。 | 上田別所線は改めて掘り下げてみたい。今年になり、事故から復活し全線開通となった上田別所線。上田市街に行ける唯一の公共交通機関として長大生は多く利用していると思う。上田別所線をの歴史なども掘り下げ、もっと広める方法を資料を参考にしながら考えていきたい。 | 2021-12-22 |
47 | | アリオ上田前の無電柱化の工事写真 | これは上田のアリオ前の交差点を撮影したものである。前回は別所線の城下駅から赤坂上駅の間で電柱の地中化について触れたが、今回は少し離れた上田のアリオ前でもやっていたことからこの工事は一部分の電線の地中化ではなく大規模な工事なのではないかと思った。そのため、インターネットを使い上田市の電柱の地中化について調べてみると上田市が公式に出している計画案を見つけることが出来た。
電線の地中化の工事は写真のように一度あった歩道や道路を掘り返して設置していくため、多くの手間と時間がかかる。 | 2021-12-22 |
48 | | ここらへんで一旦まとめ | なんで上田探検をしているののか、それはゲームを作りたいからです
(なんでわざわざ”ゲーム”なのかというのは「どうして地域資源で遊ぶの?」の記事を参照)
参照とは書きましたが一応なんとなく概要だけ。ホビーとして地域資源を発信すれば興味が無い人でも巻き込めるかなって思っているからです。さわりだけでも「こういうのがあるんだ!」みたいな感覚になって上田に触れる人が一人でも増えてくれたら嬉しいです。
さて、ここまで色々なものを見てきました。古墳、池、景色と。
それをどうゲームにまとめるか。
https://docs.google.com/document/d/1moarKFrUze8l2_XUbDJjwM9SZ0_LW3H7RcgTzq4o_4A/edit?usp=sharing
原案としてはこんな感じにまとまっております。
簡単に説明しますとマップは別所線区間内で行う陣取りゲームです。
特産品などを宣伝だった | 2021-12-22 |
49 | | 上田地域の地形的変遷 | –なぜその探求テーマを選んだのか
上田で生まれたが、その時とは既に街の様子が変わっている。昔から上田を遡った時に、地理的にどんな変遷をしてきたのか興味を持ったため。
–何を探求しアウトプット化するか
気候や土地柄を軸にして、どのように変遷してきたのか分かりやすくまとめ、アウトプットしていきたいと思う。
–具体的にどのような資料を調べるか
デジタルアーカイブや、地理院の地図、気象庁の統計などを元に、資料を参照していく予定である。 | 2021-12-21 |
50 | | 2つの視点 | これまでのフィールドワークは「上田紬」を軸に行った。上田紬を知ることから始め、実際に体験したことで、知る前とは違う視点で上田の街を探検することができた。
今後の見通しとしては上田紬について「興味を持ってもらう」ことと「もっと現代の生活に生かす」ことの2つの視点で、自分なりの具体案の提案をしてみたいと思う。 | 2021-12-22 |
51 | | 太郎山山頂 | 太郎山の山頂です。もっと良い場所から写真撮りたかったんですが、人がいっぱいいたのでちょっと難しかったです。上田市全体が見れますし、一応ここからも富士山を見ることができるらしいです。 | 2021-12-22 |
52 | | 上田自然運動公園 | 上田自然運動公園には体育館プールを中心に、マレットゴルフ場アーチェリー場がある。周囲は四季折々の鮮やかな顔を見せてくれる。敷地内にはひょうたん池という小さな池があり、コガモやカルガモなどの数種類の水鳥が生息していた。コガモは水中に顔をつけながらぐるぐると回り食事をしていて愛らしかった。長野大学からも近いため水鳥を見たい方は行けば愛らしい水鳥の姿が観察できるだろう。 | 2021-12-22 |
53 | | あんかけ焼きそばとの出会い | 以前から耳にしていた「上田に来たならあんかけ焼きそばを食べるべき」というおすすめを聞いて、気になっていました。バス停から少し上り坂を上ったところにあるお店「しんりん」さんで無事いただくことができました。
酢とからしをかけて食べた方がさらにあんかけ焼きそばの真価を味わえたと思いますが、忘れてしまい、かけずに食べきってしまいました。
それらを抜きにしても、濃すぎず、冷たい体に染みるような、ちょうど良い温かさのあんかけと、焦げ目がついて香ばしい味がするちりめんが程よいバランスでとても美味しかったし、ボリュームがあるあんかけ焼きそばをお腹いっぱい食べることができて、あんかけ焼きそばへの好感度が上がりました。
発祥は、真田坂を上った先にある海野町商店街を左折したところにある福 | 2021-12-15 |
54 | | 上田藩主 | 上田と言えば真田氏が思い浮かぶが、その後の仙石氏・松平氏の治政はどのようなものだったのか気になったので調べ、それぞれを比較してみたいと思う。
参考資料については、上田市立博物館やデジタルアーカイブなどを活用して調べていきたい。 | 2021-12-21 |
55 | | 標高605m | 上田駅発の菅平線バスに乗り、揺られること20数分…
スポットライトに照らされた「幸村の里」の大きな看板を目印に、降車を決意しました。
降りたのは「殿城口」というバス停でした。
この写真は、歩道を歩いていて目に入ってきた看板を撮影したものです。上田市は上り坂も下り坂も多く、山の上にいる事を体感しますが、こうして看板を見ると、より山の上にいることを実感します。 | 2021-12-15 |
56 | | 可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」 | 2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。
2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。
■看板作成:
長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会
■監修:
長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授
■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) :
高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田 | 2021-12-21 |
57 | | 上田電鉄別所線の軌跡を追う | 上田の市街地に向かうとき、大学に行くとき、夕飯の買い物に行くとき…。皆さん少なくとも一度は、上田電鉄別所線を利用したことがあるのではないでしょうか。
別所線は今年で100周年を迎えたそうです。そこで私は、その100年の間にどういう改革やストーリーがあったのかを調べて発信しようと思います。
参考資料は、主に昔の文書や新聞記事、可能であれば別所線の運営に携わる方にインタビューが出来たら良いなと考えています。 | 2021-12-21 |
58 | | 上田市の養蚕業の発展と今 | なぜその探求テーマを選んだのか
1年生の時、常田館製糸場を訪れ、蚕の製造方法や過去から現在までどのようにして衰退していく養蚕業を守り続けてきたかを学び興味を持った。
何を探求しアウトプット化するか
蚕の衰退原因とそれをどのようにして解決するかを探求し、常田館製糸場のように蚕を使った現代アートを作り、現代に繋げるといった活動などをどのように広めるかの案を考える。
具体的にどのような資料を調べるか
上田市公文書館ネットなどの資料や実際に聞いた話を参考に様々な視点から調べる。 | 2021-12-21 |
59 | | 明治・大正期における上田の金融の歴史について | ・テーマ選定理由:上田はかつて蚕糸業が発達した地域であり、それに伴って金融業が栄えた歴史があることを知り、興味を持ったから。
・何を調べる:明治・大正期の金融に関する資料、年表を当たり、それによって当時の上田が全国的にどれぐらいの規模で経済的に栄えていたのかを調べる。
・具体的な資料:国立国会図書館資料、去年授業で扱った上田市誌データ、附属図書館内の書籍 | 2021-12-21 |
60 | | 上田城散策② 本丸東虎口 | 上田城後のシンボルとされ、昭和34年に長野県宝に指定されているという本丸東虎口。そう言われているだけあって迫力がすごかった。 | 2021-12-21 |
61 | | 上田城散策① 真田石 | 大きな石垣が目を引く真田石。真田信之が父の形見として持って行こうとしたが微動だにしなかったという言い伝えがあるそう。どこの石垣を見てもそうだが、どういった技術で石をこんなに高く積んだのかとても気になる。 | 2021-12-21 |
62 | | 上田市の観光 | 私は、上田市の観光名所や名物について探求したいと思います。
今知っている情報に加え、新しい情報や知識を収集することで自分も上田市のことを楽しみながら学び、発信したいと考えています。
具体的に、観光地や名物についてのサイトで情報を集めたり、訪れたりしたいと考えています。 | 2021-12-21 |
63 | | 上田飯 | 上田の名物といえばなんだろうか。まず挙げられるのは美味ダレと自慢焼きか。この二つくらいならば上田市民ではない私でも知っている。そんな上田飯のルーツ等に興味を持ったので調べて投稿していきたい。ついでに最近の上田飯として上田圏内の美味しい店等も上げられたらと思っている。 | 2021-12-21 |
64 | | 美味だれ | 探求テーマ選択理由:自分は居酒屋でバイトをしているのだが、焼き鳥に付けるために出されているたれをとても美味しく感じ、またそのタレが上田名物と知ってより興味が湧いたから。
探求内容:たれが上田市民に取ってどのような存在なのか、全国にはどれほど知れ渡っているのか、どのように作られているのかなど。
調査に用いる資料:おいだれ図鑑 | 2021-12-21 |
65 | | 明治の上田での生活 | 私は歴史が好きで、特に過去の庶民の暮らし等の大衆文化に興味があるので、明治~大正時代の上田市民の生活について探求していきたいと思います。
昔の地域独特の文化や特徴、上田で生きる上での庶民の知恵などを調べ、当時の生活について知ることでより知見を広げていきたいです。また、上田市での暮らしを知ることにより、地域発展のヒントを得られればなと思います。
調べ方については、資料館や図書館等に足を運んだり、デジタルアーカイブ等で資料を探したいと思っています。 | 2021-12-21 |
66 | | 北国街道柳町 | 石畳が敷かれた古き良き街並みが魅力の柳町。名前の通り柳の木が生えており、春になれば見事なしだれ柳を楽しむことができます。上田の名物グルメのお店が集まるグルメスポットとしても注目されています。 | 2021-12-21 |
67 | | 温泉の歴史 | 私はグループで上田の温泉について調べることにしました。上田は温泉が有名であるということを聞いていたので、どのような歴史がありどのように親しまれてきたのかを調べてみたいと考えました。それぞれの温泉について資料や実際に温泉を訪問したり地域の方の声も聞いてみたいと思います。その中で各々の特徴を比較し上田の温泉についての理解を深めていきたいです。 | 2021-12-21 |
68 | | 温泉の歴史 | 私たちは上田の名物の一つでもある温泉について調べることにしました。
以前から上田は温泉の名所と聞いていたため、どういった歴史がありどのように親しまれてきたのか調べたいと考えました。
それぞれの温泉について資料や実際に訪れ地域の方の認識や意見を聞いてみたいと思います。
その中でそれぞれの特徴を比較していき温泉を通して地域理解を深めていきたいと思います。
今回はグループで探求していきます。 | 2021-12-21 |
69 | | 上田駅お城口 | 上田駅といえば、真田氏ゆかりの六文銭マークのイメージが強いと思います。駅前の広場には真田幸村の騎馬像もあります。馬にまたがる勇ましい姿が印象的です。
周辺には中国寧波市から寄贈された石刻獅子像や、上田駅再開発のモニュメントとして作られた水車などがあります。どれも上田駅のシンボルとして親しまれています。 | 2021-12-21 |
70 | | 上田のため池 | 私たちは上田市塩田のため池について調べようと思う。
このテーマを選んだ理由は、上田に来てため池が地元と比べ多いという印象を抱いたからである。どうしてこんなにため池が多いのか興味を持ったので、塩田の歴史やどんなものがあるのか調べたいと思った。
上田市文書館の資料や長野大学付属図書館、塩田の里交流館などで塩田の歴史とため池の関係をまとめていきたい。 | 2021-12-21 |
71 | | 米久肉店 | アリオ前にある、お持ち帰り専門の焼き鳥屋「米久肉店」。こちらでは信州上田の名物である「美味だれ」を焼き鳥にかけて食べることが出来る。1本60円という低価格で、私は「もも・ねぎま」を計20本ほど購入した。
家へ帰宅し、容器を開けてみると、焼き鳥と美味だれの香りがぶわっと広がり、食欲がさらにそそられる。お肉は絶妙な焼き加減でぷりぷりしていて、甘いたれがよく合い、いくらでも食べられてしまいそうだった。
注文は早めに電話をしたほうがいいと思う。 | 2021-12-21 |
72 | | さわむら | 上田市丸子にある和洋菓子店「さわむら」。先日、バナナマンの日村さんがロケで訪れ、長野県を代表する郷土食の一つである「おやき」を紹介していた。1つ140円で、1日なんと500個も売り上げるそうだ。
私はあんこと野沢菜の「おやき」を購入した。生地はびっくりするほどモチモチ、そして自家栽培の野沢菜を使用しているようで、塩味が程よく生地に合い、多くの人に愛されているのが納得できた。
完売するのが早いので、購入する方は開店してからすぐに来店してほしい。 | 2021-12-21 |
73 | | 華龍飯店 | 上田市上田原にある中国四川料理の「華龍飯店」。安い値段で大盛りが評判と聞いてはいたが、今回が初めての来店でとても楽しみにしていた。
私は「炒飯と唐揚げ1個ランチ」を注文。注文の品が届き驚愕したのが、炒飯の量と唐揚げの大きさである。炒飯は食べても全然減らず、半分食べてやっと多店舗の一人前という印象を受けた。また、唐揚げは自分の拳と同じくらいの大きさで、これだけでも満足感が得られた。
来店される方はお腹を空かせていかないと痛い目を見るので注意してほしい。
最後に、メニューを見ていると「カエルの唐揚げ」があり挑戦するのにかなりの勇気がいるなと思った。 | 2021-12-21 |
74 | | 塩田平 地形 | 塩田平は典型的な盆地であり、かつて湖であった場所が産川や浦野川によって埋め立てられたものと考えられている。また、特徴的な地形として、鴻ノ巣バッドランドが挙げられる。バッドランドとは、「無数のかれ谷が密に深く刻み込まれ急斜面の斜面と、細かなひだが入り組む複雑に発達した水系網を特徴とする地形」(引用)地質を反映した地形[国土地理院]バッドランド (2021/12/21閲覧) である。
写真の黄色くマークされた場所は、鴻ノ巣バッドランドの場所である。もう一枚は、地理院地図3Dの鴻ノ巣バッドランド3D地形である。
参考・出典
地理院地図Vector[国土地理院]鴻ノ巣バッ | 2021-12-21 |
75 | | 塩田平 観光 | 塩田平には生島足島神社や安楽寺、前山寺に代表される多くの寺や、神社があり、それを観光資源として利用している。また、別所温泉という温泉もあり人気の観光地となっている。
写真は前山寺。
参考・出典
[上田市]信州上田観光情報/温泉エリア
(参照 2021/12/20) | 2021-12-21 |
76 | | 塩田平 気候 | 日本有数の寡雨地域であり、内陸性の気候であるため夏は平均気温は高い。冬は気温は低いものの、雪はあまり降らない。また、内陸性の気候によって年較差が大きく、盆地特有の気候によって日較差も大きい傾向にある。日照時間も全国平均より長い傾向にある。寡雨地域であることで、過去には養蚕が盛んになったり、ため池が多く作られたりした。
写真は日照時間に影響される太陽光発電の写真と、ため池の多さを示した地形図である。
参考・出典
長野県地方気象台/長野県の気候
地理院地図Vector[国土地理院]上田市地形
(参照 2021/12/20) | 2021-12-21 |
77 | | 塩田平 工業 | 塩田には多くの工場が存在する。この写真はその中の一部の写真である。上田市は、最大5000万円の助成金なども出し、積極的に企業誘致を進めている。
参考・出典
上田市-工場等設置事業助成金
(参照 2021/12/20) | 2021-12-20 |
78 | | 美ヶ原公園西内線を考える | 美ヶ原公園西内線は、美ヶ原に至る道と松本に至る道がある。
しかし、松本方面への分岐地点である武石観光センターあたりに、通行止めの看板があるため、通り抜けはできなそうだ。
そもそも単に松本方面に行きたいだけなら、北側に国道254号線が通っている。
わざわざ狭いこちら側を通る必要がない。
ちなみに、武石峠あたりから国道254号へつながる道があるが、年中通行止めである。
美ヶ原方面の道には、路面状況の悪い箇所、道幅の狭い箇所などが見受けられる。
加えて、冬季は通行止めになる。
前の投稿で、上田側からは白樺湖の方を通っていくのではないかと投稿した。
こちらは県道、あちらは国道なので無理もない。
以上のことを考えると、今現在この道の利用価値は限られていそうだ。 | 2021-12-20 |
79 | | 美ヶ原と上田 | 上田側から美ヶ原へと向かう際に使うのが美ヶ原公園西内線。
この道には本格的な山道に店という店はなく、登り口に武石観光センターがあるだけである。
それに対し、諏訪方面からビーナスラインを通って行くと、霧ケ峰・白樺湖を中心に数々の店や温泉、ホテル等楽しみがある。
道路を比較してもビーナスラインのほうが走りやすく、知名度も高い。
そのため、上田側から美ヶ原に行こうとした際に、走りにくく楽しみも少ない美ヶ原公園西内線を選ぶより、白樺湖→霧ケ峰→美ヶ原のルートを選ぶ人が出てくるだろう。
せっかく上田から美ヶ原につながる道があっても、以上の理由で使われる頻度が少ないのならもったいないと感じる。 | 2021-12-20 |
80 | | 「上田市の主な工業」まとめ | 今回、上田市内における十の企業を調査気づいたことをまとめていきたいと思う。
まず一つは、やはり機械・精密機器製造が盛んであったということだ。上田市は隣接する坂城町同様に機械・精密機器を工業の強みとしているという情報は調査前に持っていたが、実際に具体的な企業を通じて知ることができた。逆に、針や食料品などの製造にも大きな役割を持っているということも確認でき、多様性も見ることができた。
次に、全国、または世界に展開する企業が複数あったということだ。上田という地から多くの製品が広がりを見せていくというのは、上田で学ぶ人間として驚きであり、誇らしいことでもあった。
今回は数多く存在する中小企業に触れることができなかったために調査結果としては物足りなさがあるが、上田市の工業における一般 | 2021-12-20 |
81 | | 《上田市に主力工業を置く企業④》エスビー食品株式会社 | 関連会社など(国内):県内二つ・東京・北海道・岩手・宮城・千葉・埼玉・神奈川・新潟・静岡・愛知・石川・大阪・広島・岡山・香川・福岡・鹿児島・沖縄
主力製品:食料品
スパイス&ハーブ・香辛料
カレー・シチュー・ハヤシ
パスタ・その他麺類
中華・エスニック
紅茶
ジャム・タルト
インスタント食品
ぬか漬けの素
フレッシュハーブ
健康食品
参考資料
S&B ヱスビー食品株式会社(https://www.sbfoods.co.jp/) エスビー食品株式会社 代表取締役社長 小形 博行 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
82 | | 《上田市に主力工業を置く企業③》東京特殊電線株式会社 | 関連会社など(国内):県内二つ・群馬
関連会社など(国外):中国・インドネシア・フィリピン
主力製品:ケーブル
・高性能同軸ケーブル (半導体テスタ、USB3.1 Type-C、次世代映像インターフェース、5G機器、Virtual Reality機器など)
・三層絶縁電線(車載用や、大容量サーバ用などの高周波、高出力トランス用途)
・耐熱電線(自動車・産業機器などの内部配線)
・極細合金線(各種コイル、電子部品、高周波部品など)
・高周波ケーブルアセンブリ(デジタル信号伝送用途など)
・ヒータ製品(採暖・加熱・保温・防露・霜取・育苗など)
・コンタクトプローブ(ICパッケージ基板・高密度プリント基板・半導体ウェーハ(プローブカード)の検査など)
・フレキシブルフラットケーブル(電気・電子機器内部の信号伝送や電力供給)
参考資料
東京特殊電線株式会 | 2021-12-20 |
83 | | 《上田市に主力工業を置く企業②》長野計器株式会社 | 関連会社など(国内):県内四つ・東京・北海道・宮城・埼玉・千葉・神奈川・静岡・愛知・富山・滋賀・大阪・香川・広島・福岡
主力製品:圧力計や圧力センサを中心とする各種センサなどの精密機器
参考資料
長野計器コーポレートサイト(https://www.naganokeiki.co.jp/)長野計器株式会社 代表取締役社長 佐藤 正継 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
84 | | 《上田市に主力工業を置く企業①》山洋電気株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・東京・北海道・宮城・栃木・山梨・石川・静岡・愛知・京都・大阪・広島・福岡
関連会社など(国外):中国・台湾・韓国・タイ・インド・シンガポール・ジャカルタ・アメリカ・フランス・ドイツ
主力製品:精密機器
・クーリングシステム(冷却ファン,ファンユニットなど)
・パワーシステム(太陽光発電システム用パワーコンディショナ,無停電電源装置 (UPS)など)
・サーボシステム(サーボモータ・アンプ,ステッピングモータなど)
参考資料
山洋電気株式会社 (https://www.sanyodenki.co.jp/) 山洋電気株式会社 代表取締役会長 山本 茂生 代表取締役社長 児玉 展全 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
85 | | [上田市に本社を持つ企業⑥]松山株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・北海道・宮城・栃木・岡山・熊本・宮崎
主力製品:水田や畑の改良整備や耕起などの用途の作業機
参考資料
ニプロ 松山株式会社(https://www.niplo.co.jp/) 松山株式会社 取締役社長 松山 信久 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
86 | | 上田らしさ | 上田駅のすぐ近くにあるこの水車。そして銅像。初めて上田駅に訪れた時から感じてはいたが、駅の改札を抜けてからここまで市の特徴が入りやすい駅は興味深い。というのも、私は、駅はその場所のファーストインプレッションであり、その地域の雰囲気を掴む大切な場所だと考えている。駅の中で目にしたモチーフ、上田であれば真田という大きな売り出しポントが駅の中にも、街の中にも全面的に出されているのが非常に面白く、街を歩くのが楽しかった。 | 2021-12-20 |
87 | | [上田市に本社を持つ企業⑤]株式会社シーティーエス | 関連会社など(国内):県内二つ・北海道・岩手・宮城・山形・福島・茨城・栃木・群馬・千葉・東京・新潟・富山・石川・山梨・岐阜・静岡・愛知・三重・京都・大阪・兵庫・広島・福岡・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄
主力事業:ITインフラ・工事など
・デジタルデータサービス事業 (建設業向けクラウドストレージサービスを軸とした、建設現場向けITインフラシステムの提供)
・測量計測システム事業
・ハウス備品事業(ユニットハウス・オフィス備品や空調機能などのレンタル、販売)
・環境安全事業(道路標示・標識等の交通安全に係わる事業と、公園施設等の環境安全に係わる事業)
参考資料
会社概要|株式会社シーティーエス(https://www.cts-h.co.jp/company/data/) 株式会社シーティーエス 代表取締役社長 横島 泰蔵 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
88 | | [上田市に本社を持つ企業④]アート金属工業 | 関連会社など(国内):県内三つ・愛知・大阪
関連会社など(国外):ドイツ
主力製品:ピストン(自動車のエンジンなど内熱機関において、熱エネルギーを運動エネルギーに変換する部品)
参考資料
アート金属工業 公式企業サイト (http://www.art-piston.co.jp/) アート金属工業株式会社 代表取締役社長 三城 伸五 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
89 | | [上田市に本社を持つ企業③]オルガン針株式会社 | 関連会社など(国内):県内四つ・熊本
関連会社など(国外):ベトナム・中国・台湾・シンガポール・ドイツ
主力製品:針
・ミシン針(家庭用・工業用いずれも)
・メリヤス針(ニット素材に用いられる)
・フェルト針(繊維を複雑に絡め合わせた不織布をつくる)
・ブローブ(「導通検査=電気的な接続を確認する試験」に用いられる)
参考資料
オルガン針株式会社 「一本の針に心を込めて、世界の顧客に手渡そう」. (https://organ-needles.com/company/outline/) オルガン針株式会社 代表取締役社長 増田 良介 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
90 | | [上田市に本社を持つ企業②]日置電機株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・宮城・石川・埼玉・東京・神奈川・静岡・愛知・大阪・広島・福岡
関連会社など(国外):アメリカ・中国・シンガポール・タイ・韓国・インド・ドイツ・台湾・アラブ首長国連邦・インドネシア
主力製品:電気計測器
・自動試験装置(基板検査装置)
・記録装置(データロガー、メモリハイコーダ、デジタルオシロスコープ)
・電子測定器(LCRメータ、電力計、耐圧試験器など)
・現場測定器(クランプメータ、テスタ、絶縁抵抗計など)
参考資料
日置電機株式会社-Hioki(https://www.hioki.co.jp/jp/) 日置電機株式会社 代表取締役社長 岡澤 尊宏 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
91 | | [上田市に本社を持つ企業①]シナノケンシ株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・東京
関連会社など(国外):アメリカ・ヨーロッパ・中国・台湾・タイ・インド・メキシコ
主力製品:電子機器・精密機器
・精密モーター、アクチュエータ
・産業システム機器(映像/ハイスピードカメラ・サーモ グラフィー(遠赤外線カメラ))
・福祉・生活支援機器(録音図書機器、補聴器)
参考資料
ASPINA|シナノケンシのコーポレートブランド(https://jp.aspina-group.com/ja/) シナノケンシ株式会社 代表取締役社長 金子 元昭 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
92 | | 別所温泉駅から上田の現状を見る | フィールドワークの時間を使いほとんど行ったことのなかった別所温泉駅へと出向いた。ほかの別所線駅との違いとして、上田駅以外にはトイレなどはなく最低限の椅子しかないところが多い。しかし別所温泉駅は駅にトイレもあり、観光案内所やしっかりとした待合室が備えられていた。また、歓迎を表す置物や旗が、さらにはレンタル自転車まで置かれており電車を利用したお客さんにとってはかなり素晴らしいのではないかと思った。しかし、別所線でこのレベルなのはここと上田駅だけなのでほかの駅の質素さも目立ってしまうと感じた。 | 2021-12-20 |
93 | | 柳町散策① 柳町屋 | 柳町を進んでいくと赤いのれんが目を引く「柳町屋」というお店を発見した。上田ブランド研究所のラボショップだそうだ。そこでアップルたまごタルトを購入した。軽食にぴったりでとっても美味しかった。 | 2021-12-20 |
94 | | 自慢焼きの歴史 | 上田市の名物の1つである自慢焼き。上田市民で食べたことがある人や知っているという人は結構な数がいると思います。それがいつからできて、どのように有名になったのかが気になったので調べようと思いました。
実際に自慢焼きを買ってみて写真をアップしたり、自慢焼きのルーツは何かを簡単にまとめたいと思います。
出来たら自慢焼きを実際に作っている映像をリアルタイムで配信しているサイトのURLも貼れたらいいと考えています。 | 2021-12-20 |
95 | | 柳町 | 柳町が面する通りは北国街道といい参勤交代の大名や佐渡金山の金の通路、庶民の善光寺参りの参道として賑わったそう。
柳町のホームページによれば、真田信之が藩主になってからの『元和年間上田城図』には柳町の名前が掲載されているそうだ。(https://yanagimachi-ueda.jp/history) | 2021-12-20 |
96 | | 上田市の映画館 | 私は「上田市の映画館」を地域探求テーマにして探求していきたいと考えている。
なぜならば、情報通信文化論の授業中に触れた「上田市街明細図」に上田劇場や上田電機館などの施設が載っていたが、ネットで調べて見てもどのような歴史があったのか、どのような作品が上映されていたかが不明瞭だったため、調べて見たいと感じたからである。
このテーマを探求し、上記の上田劇場の他にどのような劇場があったのか、どのような作品が見られていたかのアウトプット化を行っていきたいと考えている。
調べ方については、上田市内の図書館へ赴き資料の閲覧を主に行い、現在も残っている施設に関しては、直接足を運ぶことも視野に入れて探求していきたい。 | 2021-12-20 |
97 | | サントミューゼ | 上田駅から10分ほど歩き、サントミューゼを訪れた。驚きであったのは、複合型文化施設であるということだ。演劇や演奏が行われるホールもあれば、美術館もある。他にも、普段から市民が利用できるような防音室や個室があった。ここに来れば、文化的経験ができると思わせてくれる場だった。芸術ふれあい事業など地域の文化活動の活性化にも貢献しているようだった。また、外は芝生の広場になっていて、ボール遊びをする人、ごはんを食べる人、何かをノートに書いている人がいて、いろいろな過ごし方をしていて、面白いと思った。 | 2021-12-19 |
98 | | フィールドワーク(2)について | 前回のフィールドワークは「上田の歴史に触れる」というテーマで行った。今回は前回の歴史に関連して、歴史ある場所散策してみた。 | 2021-12-19 |
99 | | 「西塩田時報」から見る戦時期の上田 | 探求テーマ選択理由:個人的に歴史関連の授業で戦争について学んでいる事もあり、戦争下で生きていた人々の足跡に興味を引かれている。そして先日「西塩田時報」を読んだとき、戦争に関わる内容が多いと感じた。当文献を用いたこの探求テーマなら、自らの興味を満たす調査が行えるのではないかと思ったため。
探求内容:戦前・戦後の人々の生活を表す記事をいくつかピックアップし、自らの所感を述べていく。
調査に用いる資料:「西塩田時報」 | 2021-12-19 |
100 | | 仙石氏と松平氏の歴史 | 仙石氏は三代から五代目の上田城の城主を務めました。三代目城主の仙石忠政が関ヶ原の戦い後に破却された上田城を再建させ、現存する西櫓もこの時に建てられた貴重なものとなっています。
松平氏は六代から十二代目までの城主を務めました。その間実に160年余りであり、上田城の歴史の半分以上が松平氏が治めていたことになります。主に千曲川の洪水によって破損したがけの石垣の設置や、地震による石垣と櫓の修復工事などが行われていました。 | 2021-12-17 |